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スリッパの歴史

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「スリッパの歴史」と検索しますと明治初頭・徳野利三朗氏が外国人の上履きとして作った物がスリッパの原型となったと記されています。

ここでは、私がスリッパに関わった歴史を辿っていきたいと思います。

昭和30年代、私が幼少の頃に、家(群馬県桐生市)ではスリッパの製造を始めました。桐生市は、織物の町として栄えていましたが衰退の嵐が押し寄せてきます。スリッパの製造する前は織物業を営んでいました。

織物を染める水槽や糸繰り機・織機があったことを覚えています。
父は、織物業に見切りをつけ商売替えでスリッパの製造を始めるために、私が暮らしている埼玉県行田市の隣にある南河原村のスリッパ工場へ母と一緒に習いに行っていたようです。

埼玉県南河原村(行田市に併合)は、スリッパ村と言われていました。行田市は、足袋の産地です。スリッパと足袋の繋がりがあるのかと思っています。

私が勤めている会社(業務用スリッパ製造)の社長は、足袋会社の丁稚奉公からスリッパ製造を始めました。足袋のことやスリッパの話を私は聞き取っています。かつて、スリッパの生産で南河原村(行田市も含む)は全国の60%を占めていました。高度経済成長の時代に生活様式も変化し、スリッパの需要が増加していきます。

スリッパの生産は、工賃の安い山形県へと移っていきます。

行田市の地域には、スリッパ製造に関連する会社が存在していました。生地加工(ラミネート)・裁断機の製造会社や裁断用金型職人・テープ専門職人などの人達がいました。


現在、量販店で売られているスリッパを見ますと国内産のスリッパは陳列されていません。かつてスリッパ村で30社ほどあったスリッパ製造会社は、今では3社しか残っていないようです。(南河原商工会職員から聞く)

関連会社も必然的に淘汰されていきました。

国内のスリッパメーカーは、高級志向のスリッパ作りで生き残りを計っています。

会社では、宿泊施設用のスリッパを主体に製造販売をしています。全国の高級旅館・観光ホテルなどご使用頂いています。

このコロナ禍で、宿泊施設からの注文が激減しています。

この逆境を乗り越えるための模索として、過去を振り返りスリッパの歴史を紐解いてみました。

少しは、参考になれば幸いです。

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